こんにちは!ドタバタ母さんです。
先日、県議会の仕事を学ぶ親子教室に子どもたちと参加しました。正直なところ、それまで県議会議員という仕事は「自分には関係のない範疇」だと思っていました。
でも話を聞くうちに、県民のよりよい生活のために役割を発揮する仕事なのだと知り、興味が湧いてきたのです。
なぜかというと、私が訪問看護師として日々見ている「どうにもならないこと」の多くが、現場の努力ではなく制度の側にあると感じているからです。今日は、その中身を書いてみます。
①介護度が低いほど、必要なサービスを受けられないことがある
介護保険では、介護度によって使えるサービスの限度額が決まります。介護度が低ければ、限度額も少なくなる。
一見すると合理的に見えます。でも現場では、介護度の数字と「本当に必要な支援の量」が一致しないケースにたびたび出会います。
身体的には自立していても、判断力や意欲の面で支援が必要な方。ご家族のサポートが得られず、少しの手助けがあれば在宅生活を続けられるのに、その少しが枠に収まらない方。
「必要なサービスがあるのに、限度額が足りなくて受けられない」——この現実は、事業所がどれだけ工夫しても越えられない壁です。
②「孤独」に対するフォーマルな支援がない
以前、看護研究に取り組んでいたときにも強く感じたことです。
孤独は、確実に健康を蝕みます。 たとえば、飲酒がやめられない方。背景には孤独があることが少なくありません。話し相手がいない、役割がない、社会とのつながりがない。だから飲む。
でも「孤独である」ことに対するフォーマルなサポートは、制度の中にほとんど存在しません。
介護保険は「身体の状態」を測る仕組みなので、孤独は評価の対象になりにくいのです。結果として、健康を損なう最大の要因の一つが、支援の網からこぼれ落ちてしまう。
看護師が訪問時に話を聞くことはできます。でもそれは週に1回、1時間かもしれない。個人の善意で埋めるには、あまりに大きな穴です。
③まだまだ「同居家族のサポートありき」の制度
そして一番大きいと感じているのが、これです。
現在の制度は、同居家族のサポートがあることを前提に設計されている部分がまだまだ多い。そして制度以上に、「家族が介護するのは当然」という意識が社会に根強く残っていると感じます。
でも現実は、共働き家庭が当たり前になり、単身世帯も増え、家族が遠方にいることも珍しくありません。「家族がやればいい」が成り立たない家庭の方が、むしろ多いのではないでしょうか。
前提が現実と合っていないまま制度が動いていると、そのしわ寄せは必ず、一番弱い立場の人に向かいます。
現場の努力では、どうにもならないことがある
訪問看護の仕事は好きですし、目の前の方に対してできることは全力でやります。
でも、上に書いた3つは、事業所や個人の頑張りでは解決できない類の問題です。ルールそのものが変わらないと、どうにもならない。
県議会の親子教室で議員さんの話を聞いたとき、「制度をつくる側にも人がいる」ということが、初めて実感として腑に落ちました。当たり前のことなのですが、今まではどこか遠い世界の話だと思っていたのです。
これから何ができるかは、まだ分かりません
だからといって、明日から何かが変わるわけではありません。私にできることが何なのか、まだ全然分かっていません。
ただ、「関係のない世界」だと思っていた場所が、実は自分の仕事と地続きだったと気づけたことは、大きな収穫でした。
現場で見てきたことを、いつか誰かに届けられる形にできたらいい。そんなことを考えるようになった、夏休みのできごとでした。