こんにちは!ドタバタ母さんです。
昨日、子どもたちを連れてトイストーリー5を観に行きました。今日はその帰りのエピソードです。
早めの夕飯を提案したら
映画が終わったのは17時頃。そのまま早めの夕飯を食べて帰れば、私も楽ができるし(そして何よりビールが飲みたい)、みんなで映画の感想を言い合いながら食事すれば楽しいだろうと思い、子どもたちに提案しました。
長女と次男は賛成。
長男は「サーティワンのアイスが食べたい」と希望しましたが、アイスでは夕飯になりません。却下しました。
「俺は帰る」
それが気に入らなかったのか、正直よく分かりませんが、長男は時々、天邪鬼が発動します。
今回もそれでした。
「俺は帰る」
帰りたきゃ帰ればいい、と判断した
長男は、一人でバスに乗って帰ったことはありません。お金も持っていません。
でも私は、「帰りたきゃ一人で帰ればいい」と判断しました。
映画館のある街中には、これまでも何度か一緒に歩いて行ったことがあります。国道を歩いていけば家に帰れるということは、長男も把握していました。歩いて40分程度の道のりです。
「帰る」と決め込んでいる長男を、私たちは国道まで送り届け、そこから私たちは夕飯を食べて帰ることにしました。
在宅勤務をしていた夫にも状況を報告し、長男が帰宅したら連絡をもらうよう連携しました。
それでも心配で、早めに切り上げた
一人で帰したものの、やはり私も兄弟たちも心配でした。
結局、早めにバスに乗って帰宅することに。家に着く前に、夫から「帰ってきた」という報告が入っていたので、ほっとしました。
でも——。
この選択で良かったのか。
帰ってこられたから結果的には良し、と言えます。でも、もし帰ってこられなかった場合を考えると……。今も、答えは出ていません。
正直に言うと、私も苛立っていた
そしてもう一つ、書いておかなければいけないことがあります。
あのとき私は、空気を読まない長男に対して苛立っていました。
「帰りたきゃ一人で帰ればいい」——この判断は、冷静な教育的配慮だけから出た言葉ではありません。せっかくの提案を台無しにされたことへの苛立ちが、確実に混ざっていました。
後から振り返って、大人気なかったなと反省しています。
長男は、自分で気づいて謝った
帰宅後、長男と話をしていくと、彼は徐々に自分のわがままでみんなに心配をかけたことに気づいていきました。
そして、夫や私、兄弟たちに謝ってくれました。
誰かに言われたからではなく、話す中で自分で気づいて、自分の言葉で謝った。これも成長なんだろうな、と思います。
ところで、本人はまったく寂しくなかったらしい
ちなみに、後から長男に聞いてみました。
一人で歩いて帰る道のり、心細くなかったのか、と。
「全然。街中っていろんなものがあるんだなーって、景色を見ながら帰ってきた」
……ん?
歩いて40分の道のりを、彼は1時間ほどかけて帰ってきています。つまり、寄り道をしながら、あちこち眺めながら、悠々と歩いていたということです。
こちらは気が気じゃなくて、夕飯もそこそこにバスに飛び乗って帰ってきたというのに。
みんなの心配を返して。
そう思いましたが、グッと堪えました。
手を離していくということ
少しずつ親の手を離れていく長男。
その姿を頼もしく思う気持ちと、まだ心配でたまらない気持ち。守りたい気持ちと、任せなければ育たないという理屈。そして、感情的になってしまった自分への反省。
そのどれもが同時にある、複雑な1日でした。
子どもが成長していく一方で、親の方もまだまだ未熟なままです。